夫は台湾で五年級生(民國50年代生まれ/1961〜1970年)と呼ばれる世代。彼が幼少時や学生時代の話をするたび、私は自分の知らない時代の台湾に強く惹かれるようになりました。
今回は旧き佳き台湾の象徴ともいえる、かつて実在した住居兼商業施設【中華商場】と、その周辺である西門町が娯楽の街として栄えた足跡を紹介したいと思います。
中華商場は『天橋上的魔術師』の舞台
8,000万元(約3億円/当時)を投じて新北市汐止區に2ヘクタールもの巨大な中華商場を再現したという、2021年放映の台湾ドラマ『天橋上的魔術師(歩道橋の魔術師)』。
ニュース映像を見たとき、当時の中華商場の様子を知っていた夫も「これはよく出来ているな」と感心していました。たぶん同世代の台湾人は皆同様に懐かしく感じていたと思います(このセット、残念ながら撮影後は取り壊してしまったのだとか)。
物語は1980年代の中華商場。作家の呉明益の同名小説が原作ですが、台湾の公視テレビ(公共電視台)によって実写化が実現しました。
そのファンタジックな予告映像からは想像できない、80年代の台湾が背負ってきた時代背景と複雑な問題(白色テロ、原住民、LGBTなど)が散りばめられた、深く考えさせられる作品です。
登場人物のバックグラウンド、使用される言語も様々。重いテーマではありながら隠喩などで幻想的に表現している手法が非常に印象的でした。
夫が学生の頃はまだ戒厳令が敷かれており、台湾語教育も禁止、公には日本の映画や本もNGという時代。
また高校や大学には教官と呼ばれる監視係の軍人も配属されていたそうですが、この制度はようやく2023年の夏より廃止になるそうです。
かつて実在した【中華商場】とは
中華路一段に実在した中華商場の前身は、国共内戦後に国民党と共に中国から台湾に撤退してきた軍民(外省人)を収容する簡易住宅を建てたことに始まります。
しかし徐々に治安や衛生面の問題が大きくなっていったため、時の総統・蔣介石の指示により、新たに「中華商場」の建設が進められました。
北は忠孝西路から南は愛國西路まで全長1kmにも及ぶ中華商場は、住商混合の3階建て鉄筋コンクリート建築が8棟も連なる一大プロジェクト。
各棟には孫文が唱えた八徳にちなんで「忠棟・孝棟・仁棟・愛棟・信棟・義棟・和棟・平棟」と名付けられました。これだけ大きな商業施設をわずか8か月で完成させたというから驚きです。
『天橋上的魔術師(歩道橋の魔術師)』の作者・呉明益は、中華商場の愛棟の靴屋で生まれ育ちました。
作中のリアリティある描写の数々は、実際に21歳まで中華商場で暮らしてきた彼だからこそできたことなのでしょう。
70〜80年代は【中華商場】の黄金期
中華商場には1,644区画のテナントがひしめき合い、最先端の流行の全てが集まっていると言われていました。
ここに来ればトレンドのファッションや音楽、最新家電から中国各地のグルメまで、何もかもを楽しむことができたのです。
アーケードもあるので雨天でもショッピングができ、夜になれば「国際牌(ナショナル)」の塔を中心にネオン看板がキラキラと輝く、まさに全天候型の巨大ショッピングモールだったのです。
我が家の夫も子供の頃に家族で遊びに来たり、学校帰りに寄り道やデートをしたりと、色々と良い思い出が残っているようでした。
中華路一段の現在
一世を風靡した中華商場でしたが、西門町の再計画や地下鉄工事の影響から、1992年10月下旬に約30年の歴史に幕を閉じることとなりました。
現在の様子は、皆さんもよくご存知の西門町駅前の大通りの姿です。すでに中華商場の姿は幻となってしまいましたが、交通量も多く、人の賑わいが途切れないのは当時のままなのかも知れません。
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電影街と呼ばれた西門町の昔と今
峨眉立體停車場(1976年〜)
中華商場の繁栄と共に、近隣の西門町もデパートや映画館が立ち並ぶ繁華街へと変貌しました。
その様子に昔は「電影街(映画街)」、現在は「台北の渋谷」などと呼ばれています。
人の流入が増えるに従い交通量が膨らんだことで、1976年には待望の大型立体駐車場「峨眉立體停車場」が建設されました。
車で中華商場や西門町を訪れる人はここに駐車するのが定番でした。ショッピング街の入口でもあった立体駐車場は、子供心にワクワクした人も多いと思います。
萬年商業大樓(1973年〜)
萬年商業大樓は他の商業施設とは一線を画す、東京でいうと「中野ブロードウェイ」感のある施設。別名オタクビルと呼ばれています。
前身は日本統治時代の1936年に華々しく誕生した劇場「國際館」。日本の映画会社である東宝が直営する台湾初の大型劇場でした。
1973年には200もの店舗が入った商業施設として改築され、一気に若者たちの支持を集めました。その人気は現在も変わってはいません。
ビル内部のテナントには若者向けのファッションやアクセサリー、スニーカー、携帯、ゲーム、ミリタリーグッズ、フィギュア、漫画はもちろん、フードコートや映画館、ネットカフェまで揃う、何ともカオスな空間が楽しめます。
2021年にはテナント中で最も有名だった老舗時計店「豪華鐘錶」が閉店し、60年の歴史に幕を下ろしたことがニュースになりました。時代の波を感じざるを得ません。
獅子林商業大樓(1979年〜)
獅子林商業大樓の前身は日本統治時代の東本願寺でした。
戦後は1950年代頃まで白色テロ時代の政治犯収容所として尋問や処刑が行われており、この暗い事実は台湾人でさえ知る人は少なくなりました。
その後、新光グループに売却され、1979年に現在の姿として生まれ変わりました。
当時は映画館や台北最大とも言われたドレスのオーダーメイド街などが人気で毎日のように賑わっていましたが、ここ数十年間は10階の飲茶レストラン「金獅大酒樓」以外は寂しいフロアが目立っているようです。
今日百貨(1968〜1997年)現/誠品西門店
1968年に誕生した地上4階、地下1階建ての今日百貨。流行の最先端の品揃えで開店当初から人の波が絶えませんでした。
とくに中高年世代の思い出に残っているのは、ジェットコースターや海賊船、回転飛行機などが楽しめる屋上遊園地ではないでしょうか。
今日百貨はその他にも本格的な劇場ホールを7つも備えるなど、ショッピングと娯楽が一体化されたアイデア溢れるデパートだったのです。
しかし西門町のランドマークだった建物は1989年に深刻な火事に見舞われてしまいます。
その後再建を目指しますが時代の波に乗り切れず、1997年には閉店を迎えることとなりました。現在は誠品生活 西門店となっています。
來來百貨(1978〜2003年)現/誠品武昌店
來來百貨は1978年の開業当初より、託児所を設けたりテーマソングを流すなど、顧客の印象に残るサービスを展開してきた百貨店です。
最も話題となったのは、台湾ではまだ珍しかったハンバーガーショップの2号店を1階に出店したことでした。
本場アメリカのマクドナルドを模した店ではありましたが、流行の最先端スポットとして当時の若者たちに絶大な人気を誇ったのです。
しかしながら西門町エリアは年々ファッションビルの競争激化が進み、2003年に來來百貨は惜しまれつつ閉店を迎えました。
現在は誠品生活 武昌店と、上層フロアがホテル「amba TAIPEI」となっています。
遠東百貨 寶慶店(1972〜2023年)休業へ
現存する台北最古のデパートである遠東百貨 寶慶店は1972年の開業。
今夏、建て直しのために51年の歴史に幕を下ろすことでニュースにもなりました。
台湾で初めてデパート内に高級スーパーマーケットやスターバックスを出店するなど、いつの時代も画期的なマーケティングで話題を集めてきました。
将来を見据えて顧客ターゲットを若者の層へ広げるために、2023年8月より建て替え工事に入ります。完成は5年後を予定しており、新たな西門町の顔として期待されています。
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アクセス
昭和レトロにも通ずる70〜80年代のノスタルジック台北。
なじみのある街並みも、昔の姿に思いを馳せながら歩いてみるとまた違った景色に見えるから不思議ですね。